日本の女優。現在、あのねのね・原田伸郎の妻。
身長 / 158 cm
スリーサイズ 85 – 56 – 86 cm
、表参道のブティックに勤務。ブティック時代、その美貌とスタイルがスカウトの目にとまってスカウトされ、
本名と一字違いの「越沢美紀」の芸名でモデルとして芸能界デビュー。ポスター、雑誌GOROのグラビア等でビキニ姿等を披露した。
1983年(23歳)、ピンク映画制作会社・にっかつのドル箱として人気があったSM映画シリーズで、
日活SM映画の原作者として大きな影響力をもっていた官能小説作家・団鬼六に見出され、
芸名を「高倉美貴」とし、ロマンポルノ映画で女優デビューした。
高校では映研の部長を務めるなど映画への関心は強かったものの、
内容を巡り出演を拒んだ高倉に対して、原作者である団鬼六自ら出演交渉に乗り出し、
ポルノ映画出演に反対する50代の母親も同席させて高倉親子の説得にあたった。日活は高倉親子に対し、
新人としては破格のギャラを提示した。さらに日活は高倉のロマンポルノ出演にあたり、
「3年間で4作品だけに主演する」ことを契約条件として提示した。
これは病気で引退した2代目SMの女王麻吹淳子が2年弱でポルノ15本に出演したのと比べれば、
異例中の異例である。さらに、出演を拒み続ける高倉親子を団鬼六の友人である巨匠大島渚監督が説得し、
ついに高倉親子が折れてポルノ・デビューすることになったという。大島渚監督は、『愛のコリーダ』(1976年公開)裁判に1982年に勝訴したばかりだった。
元祖SMの女王・谷ナオミ、2代目SMの女王・麻吹淳子に続く「3代目日活SMの女王」とのキャッチフレーズで売り出され、
『団鬼六 美女縄地獄」』(1983)でデビューした。昭和50年代後半には週刊誌、
グラビア誌等、多くのメディアで連日のように彼女の写真や映像が取り上げられ、
日活ロマンポルノの看板女優へと成長した。長い黒髪、目鼻立ちのハッキリした容貌とスタイル、
清楚で気品ありというイメージからは大きくかけ離れた大胆な演技、緊縛、鞭打ち、
ローソク責め、浣腸などのシーンで注目された(ロマンポルノは女優も男優も性器の上に前貼り(ガーゼ+ガムテープ)を貼る)。
84年には4作目『団鬼六 縄責め』に主演した